カテゴリ
以前の記事
2015年 03月 2013年 07月 2011年 12月 2011年 08月 2011年 07月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 01月 2009年 10月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 02月 2009年 01月 2007年 05月 お気に入りブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2009.4.4.記 ■伊予国上三谷 〔伊予市上三谷〕に 松島 瑞巌寺の九九世 雲居希膺和尚の生誕の地があります 毎年 瑞巌寺より出向いてこられ法要が営まれるそうです、 西客の皆さんで 清掃 維持 法要のお世話をされていらっしゃるそうです 雲居希膺〔うんごきよう〕和尚 〔1582~1659〕は瑞巌寺の九九世で、中興開山に位置づけられています。伊予の国上三谷〔愛媛県伊予市〕生まれました。 雲居国師の父は小浜左京といい、土佐一条家の重臣でした、1582年長宗我部元親に攻められ、重症を負った兼定の乳母であった左京の妻は、我が手で看病する為、遠い道のりを急いだ。身重だった彼女は三谷毘沙門堂で身体を休めているとき産気づき1月25日正午立派な男子を生んだ。この子が後に雲居国師となる 雲居国師は青年時代から天下の名僧・傑僧を訪ねて諸国行脚修業のたびを続けた。その途中1621年、天徳寺〔松山市〕の南源師を訪ねた。 その話を聞いた松山城主加藤嘉明、明成父子はさっそく天徳寺を訪ねその徳の高いことに感銘を深くし、雲居国師のために宝樹寺を創建した。 1636年55歳の時仙台藩主伊達政宗からの再三の招請により松島瑞巌寺の第九九世の住職となり、中興の大業を成し遂げる。 師は78歳で亡くなられましたが権力者や庶民に分け隔てなく接し、生涯木綿の僧衣で過ごし倹約を示し、人々から生き仏と慕われました、 雲居禅師は筆まめ、博学多識で、たくさんの墨蹟をも遺されました、 #
by iyonoko
| 2013-07-01 08:41
| 伊予の名所 旧跡
■今年は さつき会に 初めて こどもさん達も招き 共に クリスマス会を催しました
昨土曜日に ツリー作りや ケーキデコレーション作りを子供達に、、スタッフのわれわれが料理をします 終わりに ビンゴゲームをして 最後まで全員にプレゼントを用意しました、、 中身が見えないので、、どれにしようか迷うのがほほえましいかぎりでした #
by iyonoko
| 2011-12-11 09:27
| 行 事
◆ため池100選にも選ばれた、、「大谷池」にて 大切な農業用水ダムに感心をもってもらいたい、、ということでの イベントの一環で 「お魚つかみどりーー」 近隣の子供さんたち大はしゃぎで、楽しみました
#
by iyonoko
| 2011-08-28 15:54
| 行 事
◆大洲の花火と鵜飼に 客のみなさんと出かけました、、思いついてくださて、予約申し込みのお世話を下さり、お誘いありがとうございました 感謝です
大洲の花火と鵜飼!祭り まじかで聞く花火の音がスカットしました、 屋形船は涼しく、料理もおいしく美しく、ご近所さんと和気藹々でいっそう楽しい、花火の夕べでした、 現地へは タクシー乗り合わせと、JR 伊予駅~伊予大洲駅までの交通手段でこれも、久しぶりの列車でうきうきでした #
by iyonoko
| 2011-07-27 09:14
| 四季の風景
|
ファン申請 |
||